童謡『背くらべ』の歌詞
五月の歌、端午の節句、子供の日に欠かせない日本の名曲の一つ
童謡『せいくらべ』
「ちまき食べ食べ 兄さんが~♪」のフレーズが一度聴いたら忘れられない名曲です。
2007年に日本の歌百選にも選ばれました。
2番まである全歌詞とその意味をご紹介します。
懐かしいレコードの音色とともに歌ってみてくださいね。
『背くらべ』の歌詞
1.
柱の疵(きず)は おととしの
五月五日の 背くらべ
ちまきたべたべ 兄さんが
計ってくれた 背のたけ
昨日くらべりゃ 何(なん)のこと
やっと羽織の 紐(ひも)のたけ
2.
柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔出して
てんでに背伸び していても
雪の帽子を 脱いでさえ
一はやっぱり 富士の山
【全部ひらがなバージョン】
1.
はしらのきずは おととしの
ごがついつかの せいくらべ
ちまきたべたべ にいさんが
はかってくれた せいのたけ
きのうくらべりゃ なんのこと
やっとはおりの ひものたけ
2.
はしらにもたれりゃ すぐみえる
とおいおやまも せいくらべ
くものうえまで かおだして
てんでにせのび していても
ゆきのぼうしを ぬいでさえ
いちはやっぱり ふじのやま
だれが作ったの?
作詞者は
『おもちゃのマーチ』『月夜の畑』他
作曲者は
大正8年(1919年)に『少女号』という雑誌に詩のみが掲載されました。
大正12年(1923年)に発売された『子供達の歌 第3集』が曲としての初出です。
「せいくらべ」「背比べ」とも。
歌詞の解説
兄さんは誰?
静岡出身で7人兄弟の長兄だった海野厚。毎年、弟たちの背の高さを計ってあげていたのでしょう。
この詩は海野厚の17才年下の末弟「春樹」の視線から書かれた詩とされています。
兄さんとは作詞者本人、海野厚のことです。
なぜ「おととし」なの?
この詩を書いた当時、海野は早稲田大学在学中でした。「去年」は厚が帰省できなかったようです。
帰省できなかった理由は、結核の治療をしていた説、恩師の追悼式に参加していた説などあります。
「昨日比べりゃ何のこと」って何のこと?
昨日、おととしの柱の傷と今の自分の背丈と比べてみたら、何てことはなく大したことなかった。といった意味合いです。
「やっと羽織の紐のたけ」の意味は?
A.おととしからの背の伸びが羽織の紐の長さ分だった説
B.弟・春樹の背丈自体がやっと大学生の兄の羽織の紐を結ぶ位置の高さになった説
有力なのはAだそうですが私はずっとBだと思っていました!
皆さんはいかがですか??
二番の歌詞について
静岡出身ということもあり、富士山が出てきます。
弟・春樹が富士山と「背比べ」している様子が描かれています。
「てんでに」の意味
てんでには=めいめいに。それぞれに。各自 という意味です。
※解釈は人それぞれだと思いますので参考程度にお願いします。^^
ちまきの謎
一番のサビに出てくる「ちまき」についてです。
「ちまき」についてはこちらの記事をご覧ください。↓
この歌詞を見る限り、静岡あたりでも「ちまき」は食べられていたということですね!
おわりに
海野さんは北原白秋に認められ童謡作家になり、竹久夢二などとも交流がありました。「背くらべ」の名作を遺し 1925年 結核のため死去。
28歳という若さでした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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